تسجيل الدخول御堂家の車は、都内にある会員制ホテルの前で静かに停まった。車を降りた瑠理子は、一度だけ小さく息を吐く。
大丈夫。今日、ここへ来た理由を忘れてはいけない。
御堂直之との縁談を進める。淳ではない人を選ぶ。 そうして、前世とは違う未来を作るのだ。『……行かないでください』 それなのに、また淳の声が頭に浮かんだ。「……もう」 淳のことは忘れよう。 瑠理子は小さく呟いて、その声を振り払うようにホテルへ入った。案内されたのは、最上階のラウンジに設けられた個室だった。大きな窓から街が見渡せる。上品だが華美ではない調度品――テーブルには、すでに茶器が用意されていた。
「こちらで少々「証拠って……」「メッセージとか」「お見合いでその場で言われたので、証拠はありません」 沈黙が訪れる。「その場で言われた?」 くすっ、と誰かが笑った。「随分都合がいいのね」 「本当に直之さんだったの?」 「誰かにからかわれたんじゃない?」 次々に飛び出す瑠理子への攻撃。 「違うわ!」 必死になって言うが、誰も相手にしてくれない。 「瑠理子ちゃん」 百合絵が優しい声で遮った。「もういいから」「何がいいのよ!」「直之さんに会いたかったんでしょう?」「……は?」「会いたいなら、そう言ってくれたらよかったのに」「違う!」「こんなものまで作らなくても……」「私が作ったんじゃないわ! 違うっ、違うの!!」 思わず叫んだ。すると、周囲の女性たちが一歩引く。 「やだ怖い……」 「百合絵さんに逆ギレ?」 「招待状を偽造しておいて?」 ひそひそひそひそ。 「違うって言ってるでしょう!」 言えば言うほど、周囲の目が冷たくなっていく。
一週間後。御堂財団主催の慈善パーティー当日。 会場となる都内の高級ホテルには、政財界の関係者や著名人、その家族たちが次々と集まっていた。 この様子は生放送でライブ配信されるらしい。 吹き抜けのロビーには巨大なシャンデリア、磨き上げられた大理石の床。 豪華なドレスや高級な宝石を身につけた女性たちが、シャンパングラスを片手に談笑している。 瑠理子は会場の入口で、一度だけ深く息を吸って気持ちを落ち着けた。 今日はただの社交ではない。 これから直之との縁談を進めていくのなら、避けて通れない場所だ。 今度こそ、自分は海原家を守ると決めた。 前世のように、何も知らないまま父や会社の後ろに隠れているつもりはない。 瑠理子は背筋を伸ばし、受付へ向かった。「お名前をどうぞ」「海原瑠理子です」「海原様ですね。少々お待ちくださいませ」 受付の女性が名簿に目を落とし、ページをめくる。 やがて、その手が止まった。「……」「どうかなさいました?」「大変申し訳ございません」 受付係が困惑した表情で顔を上げる。「海原瑠理子様のお名前が、こちらの招待者名簿にございません」「え?」 瑠理子は耳を疑った。「そんなはずありません」「ですが……」「招待状もいただいています」 バッグから封筒を取り出す。「海原百合絵さんから送っていただいたものです」「拝見してもよろしいでしょうか?」「もちろんです」 受
夕方。瑠理子は届いた招待状を手に、廊下を歩いていた。父にも出席する旨を伝えておかなければならない。 御堂財団の慈善パーティーともなれば、海原家としても無関係ではない。直之との縁談を進める以上、これからはこういう席へ出る機会も増えるのだろう。「……頑張らなくちゃ」 小さく呟いた、その時――「何をですか?」「きゃっ!」 突然後ろから声をかけられ、瑠理子は肩を跳ねさせた。振り向くと、淳が立っている。「もう、驚かさないで」「すみません」「いつからいたの?」「今来たところです」 そう言いながら、淳の視線が瑠理子の手元へ落ちる。「それ、何ですか?」 瑠理子は招待状を持ち上げた。「御堂財団の慈善パーティー」 その名前を聞いた瞬間、淳の表情が僅かに曇った。「行くんですか?」「ええ」 淳は招待状をじっと見た。「それは誰からもらったものですか?」 男が贈る封筒にしては、かわいらしいものだったので気になった。「百合絵お姉様よ」「……は? 昨日のあの女性ですか?」「それ以外に誰がいるのよ」「いや……」 淳は信じられないような顔をする。「あの人、昨日何て言って帰ったか覚えてます?」「もちろん」「絶対別れさせるって言ってましたよね。なのに、次の日にパーティーへ招待?」「ちゃんと謝罪のお手紙も入ってたわ」「…&hellip
翌日の午後。瑠理子は自室で机の上に置かれた封筒を見つめていた。 淡いクリーム色の上質な封筒。差出人の名前は――海原百合絵。「……何かしら」 昨日の今日だ。『絶対、別れさせてやるから!』 あれだけ怒鳴って帰った百合絵から届いたものだと思うと、嫌な予感しかしない。 瑠理子は封を開けた。中に入っていたのは、一枚の招待状。『御堂財団 慈善パーティー』 開催日は一週間後で、都内のホテルで行われる、御堂家主催の催しらしい。 そして、もう一枚。百合絵からの短い手紙が添えられていた。『瑠理子ちゃんへ 昨日はごめんなさい。 私、少し取り乱してしまったみたい。 直之さんとのことも、ちゃんと受け入れなきゃいけないと思っています。 来週、御堂財団の慈善パーティーがあります。 直之さんとの縁談を進めるなら、きっと今後お付き合いする方々も多くいらっしゃると思うから、よければ参加しない? 私から御堂家にも話しておくわ。 百合絵』「……」 瑠理子は手紙を読み終えても、しばらく動かなかった。 昨日までの百合絵を思えば、素直に信じろという方が無理だが、彼女がなにかしてくるとは思えない。 考えすぎだろう、と結論付けた。 もう一度手紙に目を落とす。 御堂財団のパーティーの文字。 直之との縁談を本当に進めるのなら、いずれ避けては通れない世界でもある。 御堂家の関係者や財界の人間。
「……別の男?」百合絵は涙の残る目で父を見上げた。「誰のこと?」 二郎はすぐには答えなかった。「今日、兄さんの家で誰かに会わなかったか?」「今日?」「瑠理子ちゃんと歳の近い男だ」 百合絵は一瞬考え、「もしかして……橘淳?」と答えた。 二郎が満足そうに微笑んだ。「そうだ」「でも、あの人はただ屋敷に住んでるだけでしょう?」「本当にそうかな」「え?」「百合絵。彼は瑠理子ちゃんと直之君の縁談の話を聞いて、どんな反応をしていた?」 二郎は娘の顔を覗き込む。「淳君は瑠理子ちゃんのことになると、随分過剰に反応するんだ。どうだ? 違うか?」「ええ。お父様の言う通りよ。しかも『瑠理子なんか』って言ったくらいで、いちいち怒るの」「それから?」「瑠理子のことが好きなんでしょうって聞いたら、否定したけど……」 百合絵は先ほどの淳の顔を思い出した。「なるほど」 二郎の口元が僅かに上がった。やはり淳は瑠理子に気がある。 最初からそんな感じがしていたが、直感は正しかったようだ。 これは、思っていた以上に使えそうだ。「でも、それが何なの?」「簡単な話だよ」 二郎はゆっくりソファへ腰を下ろした。「御堂君が瑠理子ちゃんを選んだのは、今日が初対面だったからだ」「……?」「まだ瑠理子ちゃんのことを、何も知らない」「そうね」「では」 二郎が穏やかな声で続ける。「自分と結婚しようとしている女が、同じ屋敷で暮らす若い男と特別な関係にあると知ったら?」 百合絵の目が大きくなった。「
海原百合絵は、自宅へ戻るなりバッグをソファへ投げつけた。「もうっ!」 鈍い音を立て、高級ブランドのバッグが床へ転がる。それでも怒りは収まらない。「何なのよ……! 何なのよ何なのよ、何なのよ――ッ!!」 ガシャアアアン テーブルの上に置かれていたものを払い落とす。 更なる破壊行動にかられ、花瓶に手を伸ばしかけたところで、使用人が慌てて駆け寄ってきた。「百合絵お嬢様!」「触らないで!」「ですが……」「出てって!」 百合絵が叫ぶ。「全員出てってよ!!」 使用人たちは顔を見合わせ、慌てて部屋から出ていった。 一人になった途端、「どうして……」 百合絵の目から涙が零れた。「どうして瑠理子なのよ……」 信じられない。 いや、信じたくなかった。 幼い頃から慕っている直之。 家族ぐるみで付き合ってきた。百合絵にとっては、いつか結婚すると信じていた相手だ







